さとうのろふと

S4UC8R0の部屋

『プロフェッショナル ぐらしの流儀』~学園生活部・恵飛須沢胡桃~

追われる立場って、実はそこそこ恐ろしいですよね。

前には誰もいない。背中に感じ続けるのは、近づく気配、周囲の期待、羨望、はたまた憎悪だったり。これって恐らく、止まることなく走り続けてきた人にしかわからないモノで。

 

こんな僕も、追われる立場になったことがあります。

大学入学から二月が過ぎた頃。新しい環境にもすっかり慣れ、キャンパス内でのあらゆる行動が、いつも同じ、決まった習慣のようになり始めた時期のこと。一人の顔見知りが、その決まった動きを把握するようになったのです。

 

ある日。僕の背後をひとしきり不審にうろついた彼は、何かを決意したように、声をかけてきました。

 

『ねえ……飯、行きたい』

 

”今夜は……まだ、帰りたくない”

そんなフレーズを想起させるような、切ない声色。

他にも様々な事情があった上で感じた身の危険、押し問答の末に振り払った帰り道。

降りしきる雨、背中を刺す”視線”。

振り向けば、そこには──────────

 

 

これいつも要る?

 

 さとうです。おたよりを読んだ感想。というよりは、おたよりを読んだうえで恵飛須沢胡桃の話をしたくなりました。

 

 テーマはおたよりの第2話「くるみ」を読んで、1巻に戻り本編第2話を読んで……って、実質2話だけ読んだ段階で決まったヤツです。

つまりはこれから要素を探してくるので、もしかしたらこじつけ都市伝説みたいになったり、そもそも全然量を書けなかったりするかもしれません。見切り発車。

いや、なったりしましたね。けど、本当にここがよかったんだよなって思ったことは間違いなくて、それだけ短く書きます。ただ読んだ感想なので、あなたが原作全12巻おたよりを読んでいると嬉しいです。お前じゃなくて、俺が。もちろん、ネタバレはたくさん含みます。

 

【そもそも恵飛須沢胡桃って?】

”ふふーん、知らないな?”

ざっくり、シャベルを愛用するツインテ元気っ子。筋肉質で男前で無鉄砲.だけど……って、これほんまか?

 

定理:恵飛須沢は可愛い
[証明] そりゃそう.□

 

 がっこうぐらし!~おたより~ って、

 

パンデミック収束後の世界で、手紙が紡ぐ、みんなの「その後」。
彼女たちは自分の目指すべき道を歩んでいます。
「ずっとみんな一緒」ではない、学園生活部の近況を「おたより」にのせてお届けします。

 

って感じ(原文mother)なんで、2話「くるみ」では、彼女の近況やらなんやらが、手紙で作られた紙飛行機に乗って届きます。そのなかで気になった、彼女が医者を目指すことになる動機の話。

 

彼女のはじめの動機は

 

『役に立ちたい 立たなきゃだめだ』

 

です。どうして彼女はそのように考えたのか、振り返ってみます。

 

「足手まとい」の自分

 例えば、『一緒にいると、ダメになると思ったわけ』、アキの言葉が聞こえたとき。一度感染したことで、”かれら”に、人間として認識されなくなったことが判明したとき。感染してしまい、ゆき、りーさん、みーくんに救ってもらったとき……

様々なシーンがありますが、彼女が「足手まとい」になっていく自分を意識しはじめたのは、もしかしたら、学園生活部が始まるよりも、ずっと前のことだったのかもしれません。

 物語が終盤に向かうにつれて、歩くことはおろか、意識を保つことも難しい状態になっていく彼女。いつしか「足手まとい」であることに対して、強い恐怖を抱くようになります。

 

そしてついには『目が覚めたら、全部が終わってた』わけです。

 

 目覚めた彼女に突き付けられたのは、復興に向けて進み始めた世界と、そこで生き残ってしまった「足手まとい」の自分。そんな彼女だからこそ『役に立ちたい 立たなきゃだめだ』という、焦燥感にも近い気持ちが強く湧いた。って感じだと思います。

 

誰だって生きてていい

 この記事を書くきっかけになったのは、おたより2話「くるみ」のなか。彼女の勉強を見てくれている畑中先生の言葉です。

 

無駄、役立たず、足手まとい。

このご時世だから、医者に来る患者は、たいていそう思っている。

君はまだ何者でもない、ハンディもある。

でも、生きるのにそんなこと関係ない。

君ならそれを患者に示せる。

 

ほとんど原文。

 誰だって生きてていい、そんなことも忘れそうになる世の中。足手まといの彼女だからこそ、人々にそれを思い出させることが出来る。コミックスにはこの後ろにまんま書いてある話だけど、なんかどこかで見た構図だよなあ……

 

 足手まといでも、みんなを導くような存在になる。不純さなんかどこにも含まれない、前向きな決意を彼女に与えてくれるのが、この言葉だと思っています。畑中先生、好きです。

 

最ごに

 さて、ここで彼女の実質登場である本編2話「おもいで」に戻ってみましょう。

 

走るのは嫌いじゃない

でも 部に入った動機はわりと不純だ

追いかけたい人がいたんだ

ほら マネージャーって柄じゃないしさ

 

「追いかけたい」という気持ちから始まった彼女が、実質最ごの登場回では、「追いかけられる」存在になることを決意して終わる。これが素敵な構図だなあって思いました。こじつけ都市伝説。

 

おわり

 なんかいろいろ書いたけど、始まりと終わりがなんかいいよね……ってだけの話でした。冒頭に書いたクソしょうもない話のほうが長くなっちゃった気がします。わざわざ読んだ人は後悔してください

 

 この感想を執筆するにあたって、本編12巻とおたよりは全て読み返したのですが、やっぱりわからないところも多いですよね。「学校」とはどんな場所か、とか、色々な事が書いてあるんだろうなあとか思っても、もっとわかりやすい言葉に翻訳するどころか、それを読み取って勝手に一人で想像することですら、結構体力を奪ってきます。好きな作品だけど。

 

 好きを言葉にするのって、もしかしたら難しいんじゃないかなって思うんですよね。例えば、がっこうぐらし!を全部読んだうえで、なんかわからんけど物凄く好きな展開、というか事実?があります。「ずっとみんな一緒」であることを大事にしてきた学園生活部が、ずっとは一緒でいられない、ということに目を向け、シフトしていったことです。

 

好きだから、一緒にいるだけじゃだめだから

いってきます、いってらっしゃい って言ってここまで来たよ

 

 これ、本当にすごく好きなんですけど、やっぱりどう頑張っても「すげ~惜しみながらも卒業して新しい場所に散って、会うことはないけどお互い元気にやってて……学校って、なんかこんな感じだよね。だから、おたよりってコンセプトは本当に好きです」くらいの感想しか作れません。最初はこれでゴリゴリに書こうかなとか思っていたんですけどね。感情的にはもっとたくさん書けそうなくらいの大きさなのに、なんだこれは。

 好きになる瞬間は、表現できる理由が絶対に必要ってわけではない気がしていて。なんかわかんないけど、いいよね!みたいな。理由なんか大抵後付けしがちです。苦手なのはそのせいですかね?前回の記事が「何が嫌いかでキャラを語れよ2021」みたいな感じの、あえてなコンセプトになったのにも、そんな背景があったりします。今回は量のわりに本当に時間がかかった。

 

 ほかにも、「足手まとい」関連の話を、ゆきちゃんも感じたりするところ。実際は自分とほとんど差がなくて、同じような悩みを抱えているような人々との交流のなかで、勝手に角が取れたり、洗練されていくようなところに学校を感じたりします。がっこうぐらし!に感じる学校要素を集めるだけの記事ってのも、面白いかもしれません。やるとは言ってない。

 

 なんかよくわからんことを何も考えず書いている間に長くなりました。ここまでなんも知らんのに読んだ方も、ゾンビ映画(映画?)ではない「がっこうぐらし!」を、ぜひご覧になってください。ここまで書いたところでだいぶ疲れたのでチェックもなんもせず投げます。

 

また、どこかでお会いしましょう。